Kのメモ Apr 9,2011 [店雑記・Kのメモ]
額田王-線上のゲシュタルト2
額田王の出地については額田部という地名や氏をもとに
多くの学者が推理、論考しています。
そして、奈良県郡山市の南端に近い、大和川と佐保川の合流点上域にある額田部の地が
額田王の出地ではないかと推測されています。
それ以外に接点はないのでしょうか。
「電子国土」上でアップします。
三本の線を描いた国土がみるみる拡大され惹きつけられていきます。
(図10)
そしてT線上に「やっぱりあった」。
(図11)
半径約500mの円に重なるかのように額田部氏の領地があります。
白抜き部分は奈良時代の『額田寺伽藍並条里図』(写1)の域。
(写1)
画布に描かれたパウル・クレーの絵のような『額田寺伽藍並条里図』。
(写2)
(図11)の青色部分は中堤のある苑池で「御池」「文字池」と伝えられてきたそうす。
もとは長い出島が丁字形をなし島を三分していたようです。
昭和初期には面影はありましたが現在はその姿はありません。
幼かった額田王はもしかしたらこの地をかけ走っていたかもしれません。
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(図10)『電子国土』に加筆
(写1)『額田寺伽藍並条里図(ぬかたでらがらんならびじょうりず』
現、額安寺(かくあんじ・元 額田寺)に伝来し、国立歴史民族博物館に所蔵。
約、南北1100m×東西700mの条里のなかに額田寺の伽藍配置及び領域のようすを描いています。
(図11)(写2)(注1)『額田王』 谷馨 紀伊國屋書店 1967より加筆
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