SSブログ

Kのメモ May 8,2011 [店雑記・Kのメモ]

phot 048.jpg
額田王-線上のゲシュタルト11

神奈備(かんなび)

天智天皇が藤原鎌足に詔して春山秋山いずれ優れるか競わした宴での作歌
冬ごもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ 咲かざりし 花も咲けれど
山を茂み 入りても取らず 草深み 取りても見ず
秋山の 木の葉を見ては 黄葉をば 取りてそしのふ 
青きをば 置きてそ歎く そこし恨めし 秋山われは(1-16)
(大意)
春になると、冬の間鳴かなかった鳥も来て鳴いているし、咲かなかった花も咲いているが、
山の木々が繁っているので入って取ることも出来ず、草が深く茂っているので手にとって見ることも出来ない。
秋山の木の葉を見る時は、もみじしたものを取って美しいと思い、
青いものは、そのまま置いて嘆息する。そこが恨めしいが、私は秋山が優れていると思う。



天武天皇が崩御された時の持統天皇の作歌
やすみしし わが大君の 夕されば 見し給ふらし 明けくれば 
問い給ふらし
神岳の 山の黄葉を 今日もかも 
問い給はまし 
明日もかも 見し賜はまし 
その山を 振り放け見つつ 夕されば 
あやに悲しび
 明けくれば うらさび暮し 荒栲の 衣の袖は 乾る時もなし(2-159)
(大意)
わが大君が夕方は御覧になり、朝はおたずねになるように思われる
神岳(神奈備)の山の黄葉を、
今日もおたずねになり、
明日も御覧になるのでしょうか。
その山を眺めやっては、夕方になるとむしょうに悲しみ、
夜が明けると心さびしく暮し、喪服の袖は乾く時もない。


額田王は春山より秋山のほうが好きだったようですが、
天武天皇(大海人皇子)も秋の黄葉が好きだったようです。

季節や色には人それぞれ想う気持ちはあり、こころの地図に描かれているようです。

この二首だけで額田王と
大海人皇子のこころを見ることは出来ませんが、
共通する思いのかさなりは感じられます。

千年からの年月を経て、今は黄葉する山々を見ることの少ない明日香の里ですが
「あそこは黄葉してたっけ、あそこは黄葉してた」と思い浮かべながら、
三垣の山にかこまれたパノラマを楽しんでいます。

「線と何が関係するの?」と夏恵子が問います。
「飛鳥の神奈備。飛鳥の神の宿るところかな」と。
「大和の神奈備は三輪山。額田王はきっと飛鳥の神奈備も認識していたはず」

phot 050.jpg
(図1)

phot 049.jpg
(図2)

「だから、
天武天皇が見ていた神岳はどこだったのだろうと。夏恵子も探してくれる?」というと、
「きっと、線上から見えるよ」と、あっさり答えるのでした。

飛鳥の形成を遡ると、大和の形成があります。その形成の核となる三輪山は
三諸山、御諸山、三諸の神奈備(
神が籠りいます山)
と称され神体山としてあおがれてきました。

神が宿り出現する神聖な山の特徴は、
平野に近い孤峰、山容が付近から目立って美しい笹形または円錐形を成し、
その山中や山麓、あるいはその山が美しく見える場所に
山にまつわる神社や祭祀場所が見られること、などと
要約として記されています。(注1)

もう一点
付け加えるとすれば、
線を描けるところでしょうか。



飛鳥の地に宮が造営され、神奈備を拝しました。

しかし
今だ
諸説(図1・2の赤丸)あり、飛鳥の神奈備の確証が得られていません。

現在、神奈備山の神は829年に飛鳥坐神社の背山とされる鳥形山に遷ったとされ、
飛鳥坐神社で祀られています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
(図1)
(図2)
『電子国土ポータル』に加筆
(1-16)(2-159)
(大意)
『万葉集 1』 日本古典文学大系 岩波書店 1957 より
(注1)『大和の原像』 小川光三 大和書房 1980 より
『飛鳥迷宮』 高田和広 2009 より抜粋



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

Kのメモ May 5,2011Kのメモ May 10,2011 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。