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Kのメモ May 22,2011 [店雑記・Kのメモ]

phot 108.jpg
額田王-線上のゲシュタルト16

補点-4  
綣麻形(ヘソガタ)


綜麻形乃 林始乃 狭野榛能 衣尓着成 目尓都久和我勢
へそがたの林のさきの狭野榛の衣に着くなす目につくわが背(1-19)
(大意)
ヘソガタの林のとりつきに立つ野榛の色が、鮮やかに衣に着くように、
自分の目にくっきりとうつるわが背よ。

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右(上)一首の歌は、今案ふるに、和ふるに似ず。
ただし、舊本この次に載す。故似になほここに載す。

どうして
万葉集の編者は和
(こた)
ふる歌に似ずと思ったのでしょうか。

ただし、旧本に載せているのでそれに従う、として載せています。

やはり、
綜麻形乃 林始乃 狭野榛能というところが
額田王が詠った三輪山と異なるとイメージしたの
でしょうか。

昔はこの歌を一七・一八番歌と切り離して詠むべきとされたようです。

戦後あたりから
『記』崇神天皇の条に記されている、
大物主神と活玉毘売姫との新婚伝説にでてくる、閇蘇(巻子・ヘソ)の麻糸が
大物主神の道取りを示し、三輪山に至りますが、
その
麻糸が三勾(ミワ)残っていたのにちなんで、
三和、のちに三輪という、話から
閇蘇の形と三輪山を結びつけたようです。

この記述から、この歌の
綜麻形乃は三輪山と解釈されているようです。

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「おへその歌なの?」と夏恵子がいうので、
「ちがうよ、おへその形の歌なんだ」というと
「変わった歌だね、おへそがないのでわからないけど」と、ちんぷんかんの様子です。

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吉田金彦さんは地名源語の研究(注1)から
「ヘソガタ・綜形」の「ヘソ」について、

本来「ヘソガタ」の「へ」は「へ・瓮」「べ・瓶」の祭祀土器をあらわし、
中称指示語の「ソレ・其」「ソコ・其処」の
古い形の「ソ・其」が付いたものが「へそ・綣」の語源であるとしています。

そして、その場所は祭器の御瓮(みへ)に関わる土地用語から
地域の文化史的変化により紡績の土地用語の「ヘソ・巻子」に転じたものと記しています。

一方、その場所を通って行くという、人の交流と移動を表す古代日本語に
「へ」という語があるとし、「へ・経」は「へ・瓮」と語源が同一とし、
「ヘソ」はそのような重要な移動拠点の地名にもなったとも記されています。

そして、古代近江の地に注目され
栗太郡の「綣村」(1)であるとし、
街道につづく「石辺・石部」(2)は「狭野」の半地名、
「林」の語源から早道の地の「林村」(3)、「榛」はその先につづく「針村」(4)の地とされ、
近江から奈良への街道沿いを詠った歌とされています。

phot 109.jpg
(図1)

著者は
このところを記した図を描いていますが、
三角地が見て取れ、
不思議と
その三角形がO点(酒船石遺跡)の丘からも
見つけることができるのです。

銅鐸に描かれた「巻子」の絵をつい浮かべてしまいます。

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「おへその形って三角形?」と夏恵子がきくので、
「そうかもね、天と地と人の形かもしれない」といい夏恵子を見ると、
うつら、うつらと眠っていました。



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(補点)勝手につくった語、不足部分を調べるのような感じです。
(注1)『沼の司祭者 額田王』 吉田金彦 毎日新聞社 1993より
(図1)『沼の司祭者 額田王』 吉田金彦 毎日新聞社 1993より加筆




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