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Kのメモ May 28,2011 [店雑記・Kのメモ]

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額田王-線上のゲシュタルト18

酒船石遺跡-2

O点(酒船石遺跡)の石積みされた砂岩に ついて記しましたが、

    丘を訪ねイメージした世界を記します。

『紀』皇極天皇元年6月、日照りが続き、
蘇我蝦夷が雨乞いのため、寺々で大乗経典を読み、
悔過を行います。
しかし、小雨のみで雨乞いは叶いませんでした。
八月、皇極天皇自身、南淵(みなぶち)の川上にて四方拝をすると、
5日間続けて雨が降り、天下を潤し、民百姓を喜ばせ、
天皇の徳が知れわたったことが
記されています。

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南淵川、川上に渡されているお綱掛けの雌綱

このことが、
悔過法会(けかほうえ)の初見ともされ、また四方拝の初めとされ、
天皇がシャーマン的、巫女的ともイメージされることでもあります。

当時、天の恵みの雨がいかに農作、稲作に大事であったか、がうかがえます。


祭祀の場所であったとする酒船石遺跡の丘の石積みにも見ることができます。

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(写1)

使用された天理の石上山(豊田山)の砂岩は、
湿度状態により変色します。
乾干し状態では白色化。

つまり、この丘の石積みされた砂岩の色の変化を観察しておれば、
日照り、湿度の状態が把握できるのてす。

おそらくこのような科学的な応用を検知し、遠くから川を利用し、
「狂心の渠」を掘ってまで運び造成したものとも考えられます。
まさに新しい試みだったのではないでしょうか。


『紀』斉明天皇六年の条で、
「皇太子(中大兄皇子)、初めて漏刻(ろうこく・水時計)を造る」とあります。

中大兄皇子が暦や科学に対して深い関心をよせていたことがわかります。



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『紀』斉明天皇(皇極天皇)二年の条、
「狂心の渠」
記事前文に、
の上の両つのの樹のほとりにを起つ。名づけて両槻宮とす。
または、天宮と曰ふ」
と、
記されています。

この天宮の場所ですが、この丘を含むことが推測されています。

「観・觀」を動観、道教の寺院か、とも
記されています(注1)が、
字源から「雚」は農作儀礼に関する字であると思われる、とし
字形などから鳥形を示しており、鳥占の方法による儀礼であろう、とも
記されています(注2)。


phot 096.jpg
(図1)


鳥見の台から天台のようなものをイメージすると、
私の中で酒船石のある砂岩の丘と
天宮とがかさなるのです。


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(写1)『酒船石遺跡発掘調査報告書』 
明日香村 2006 より湧水施設同砂岩に加筆
(注1)『日本書紀』 日本古典文学体系 1993より
(注2)(図1) 『字統』 白川静 平凡社 2007より加





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