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Kのメモ SEP 24,2012 [店雑記・Kのメモ]



橋下劇場-4

パラパラ橋下劇場のネタは1867年にあったかも。

長崎から大坂に向かう船中にて記したという坂本龍馬の「船中八策」は-1867年6月

私が橋下劇場-2で記した〈ええじゃないか(注1)の広まりも-1867年


坂本龍馬というヒーロー的な現代の幻影に

「船中八策」を「維新八策」とアレンジし、

現在の情報メディアの発信を利用することで「ええじゃないか」のような爆発的な広まりを

描いたのでは、、とクルクル回りはじめます。



Mkiji0922.JPG
(注2)


でも描くなかで、大きな抜け落ちもあった。

それは〈ええじゃないか〉の広まりは下図のように、

日本全土を黒く被わなかった。



eejyanaika0922.JPG
(図1)


ある新聞社の世論調査で「維新の会」の期待度は、
西日本には広がりを見せてはいますが、関東以北では
もうひとつだとか。

主人公のがんまつ的な発想、行動が理解できないのかも、と思ったり。


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Mbook0922.JPG
(注3)


私は〈橋下劇場〉を知りたいがため、古本二冊を買いました。

一冊は『新潮45』上原善広さんのレポート。
昨年の第18回「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」に選ばれた記事。
上原さんは全国の路地(非差別地域)を訪れ、レポートされているジャーナリストです。

もう一冊は『文芸春秋』「、、十二人の公開質問状」の中に
姜尚中(カン サンジュン)さんが寄稿していたので読みたく買いました。
姜さんのものしずかな、主人公への質問状に「動と静」を感じました。

素敵だなと思う人々が主人公をどのような視線で見ているのかを
知りたかったのです。

これらの記事と日常目にするTVやNET記事から、私なりに主人公像を描こうとしました。

露天で売ってたワタ菓子を思い出しながら、

私は決して主人公が素晴らしいリーダー像を持っているとは思えず、
頭上にポカンと『裸の王様』が浮かんでくるのでした。



混沌とした時代こそ、実像と虚像のみきわめが大切なのかもしれません。



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9月23日昼、
「ニコニコ動画」で維新の会の公開討論会とやらを見ます。

討論(事理をたずねきわめて論ずること)というものではなく、
主人公のパフォーマンスに見えて仕方ありません。

やはり女性がでてこない。

さびしい陰(かげ)を覗きながら、他の出演者の陰も重なっていきます。

「なんて暗いイメージなんだろう」と。

それは、
何年か前(府知事選当時)に覗いてみた弁護士事務所のセンスのないHPと重なるものがありました。

項目に「ギャラリー」があり入ってみると、

薄暗い狭苦しさを感じさせる中に、重厚な額縁に飾られたパッとしない絵が数点、


「あかん」

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〈ええじゃないか〉がどのようにして収束していったのか、

書棚の一冊「阿波 ええぢゃないか(注4)」から

aajyanaika0924.JPG
(画1)


「阿波一国を奇妙と奇烈と滑稽との騒擾(そうじょう)の渦に巻き込んだ「ええぢゃないか」も、
それが正規的事作でなかった関係から、何時々々までも継続されるものであり得なく、
やがて終熄を告ぐる時が来た。

季節の、猫の手も欲しい時期ですら斯くのごとく盛んであるから、
年明けて正月休みともなれば如何に派摘むことだろうと、
人々はひとしく思ひこみ、ひそかにそれを楽しんでいた人々も少なくなかったが、
愈々(いよいよ)、明けの春となって見ると、人々の想像と期待とは反対に、
却って呆気ないもののやうに騒擾は鎮まった。

何故であろうか?  それに就て三四の説がある」とされ、

狐狸の仕業説、由岐沖砲声説、郡代達書説、踊子無礼討説などが記されています。

その中で狐狸の仕業説」がおもしろいので紹介。

「第一は狐狸の仕業説である。即ち狐狸に化かされて何とは知らず踊らされ、
踊っているうちに人々がいつとなくその莫迦々々しさを感じだし、
遂に踊り止むに至つたといふのである。
併して、この説は最も多数の人々によっていわれている」と。

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「そうか、狐狸ね」

そう思えば、今日見たニコニコ動画の討論会とやらも、狐狸の集りのようにみえてくる。


橋下劇場-おしまい

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(注1)-〈ええじゃないか〉
1867年(慶応3年)におこった大衆混乱。江戸時代を通じ、ほほ60年の間隔をおいて、
民衆の間に伊勢参宮の異常な流行がおこった。これを〈お陰(かげ)参り〉という。
〈ええじゃないか〉は、
この風習の変形で、1867年の秋から冬にかけて、幕府討伐直前という政治危機の頂点において、
近畿、東海、江戸をはじめ、各地で民衆をまきこんだ。
すなわち、皇大神宮の御札が降ったという
うわさをきっかけに、老若男女が鳴物入りでおどりまわり、
ときには常日ごろよく思わぬ富豪の家に土足でおどりこみ、
酒さかなを出させ、あるいは物品をもちだした。
この狂乱は数日つづき、その間治安は完全にまひし、
それは次々に各地に波及していった。
そのさい〈こめこに紙はれ、破れたらまたはれ、ええじゃないか、ええじゃないか〉と、
いった類の卑俗わい雑な歌をうたい、熱狂した。
この〈ええじゃないか〉の乱舞は、
倒幕派が人心をさわがせるためにおこなった討略であったともいわれるが、
事実はわからない。
むしろ権力倒壊前夜の異常な社会的ふいん気の中で、
解放を求めしかもその具体的方途をつかめなかった民衆が、
〈お伊勢参り〉の伝統をよびおこして、
この中に彼らの革命的エネルギーを放散せしめてしまったもので、
それを京阪地方では倒幕派が治安をみだす目的で利用助長したのではないかと
考えられる。(遠山茂樹)

『世界大百科事典』平凡社 1972 より


(注2)-『日本全史』講談社 1991 より加筆


(図1)-『日本全史』講談社 1991 「ええじゃないかの発生地地図」P906 より参考作図


(注3)-『文芸春秋』平成維新12人の公開質問状「ナチス独裁を想起」姜尚中 2012.6月号 文芸春秋、 
新潮45』「孤独なポピュリストの原点」上原善広 2011.11月号 新潮社

(注4)-『阿波 ええぢゃないか』山口吉一 著 徳島史学会 1931   1971(復刊)より

(画1)-『阿波 ええぢゃないか』山口吉一 著 徳島史学会 1931   1971(復刊)
坂東秋岳画 久米惣七氏提供 より加筆






 












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