Kのメモ JUN 20,2013 [店雑記・Kのメモ]
線上のメッセージ2-111・112・113
私は以前、
『額田王-線上のゲシュタルト』で
額田王(注1)の歌が天上に描かれた線上にイメージすることを記しました。
少し休んでしまいましたが、(図1)の天上の三本の線(K線・O線・N線)をイメージしながら、
もう少し額田王を追ってみよう、と思います。
「かえちゃん出発よ」
かえこ「何処へ」
時は持統天皇(693)七年五月(補1)
持統天皇は(図1)O点(飛鳥・酒船石)より熊野に至るT線上の芋峠(いもとうげ)を越えで
吉野宮滝にある吉野宮に行幸し、弓削皇子(注2)もお供しました。
吉野宮から弓削皇子は額田王に歌を贈りました。
いにしへに 恋ふる鳥かも 弓絃葉の 御井の上より 鳴き渡り行く(111)
古(いにしえ)に恋い慕う鳥でありましょうか。弓絃葉(ゆずりば)の御井の上を鳴きながら飛んでいきます。(大意111)
額田王は壬申の乱(672)後の作歌はなく、久々に返答歌をかえします。
いにしへに 恋ふらむ鳥は ほととぎす けだしや鳴きし 我が恋ふるごと(112)
古に恋い慕う鳥はほととぎすなのですね。
その鳥はおそらく鳴いたことでしょう。私が遠い昔を恋い慕っているように。(大意112)
返答歌をうけとり、
弓削皇子は蘿生す(苔のついた)松の枝を折り取って額田王におくります。
蘿生す松の枝をもらった額田王は弓削皇子に歌をかえします。
み吉野の 玉松が枝は はしきかも 君が御言を 待ちて通はく(113)
み吉野の玉松の枝は なんてまあいとしいことでしょう。あなたのお言葉をもって通ってくるとは。(大意 113)
これが額田王の最後の歌となりました。
当時、額田王が飛鳥京域に居たと推測すれば、
この贈答歌は吉野宮→飛鳥京、飛鳥京→吉野宮の(図1)T線上を行き来する歌です。
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霍公鳥(ホトトギス)
(画1)
弓削皇子の「いにしえに 恋ふらむ鳥」「鳴き渡り行く鳥」を
額田王は「ホトトギス」とし詠いました。
通説では
額田王が中国故事「蜀魂(しょっこん)」伝説を知っており詠ったんだろう、と解されています。(注3)
私は
「ホトトギス」に興味をもち調べてみると、3つの大きな特徴があることを知りました。
1.渡り鳥、2,托卵、3.鳴声です。
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1.
ホトトギスは東南アジアやインドから日本に五月ごろ渡来し、
8〜9月ごろ渡去することから五月にふさわしい渡り通う鳥です。
田植えの時期に飛来することから「時鳥」とも称されたようです。
(図2)に記したように赤い域が越冬地、緑の域が繁殖地です。
(図1)K線を延長すれば越冬地ミャンマーなどを経てインド亜大陸のほぼ先端に至ります。
(図2)ホトトギスのアジア分布域図
五月を振り返れば、、
天智天皇が蒲生野に遊狩した時に額田王の作った歌があります。
あかねさす 紫 野行き 、、
この歌は(図1)N線上に位置します。
歌が作られたのは天智天皇(661)七年五月五日ごろ。
もうひとつ、五月をイメージするのは
天武天皇(679)八年五月五日に青根ケ峰を仰ぐ吉野宮に行幸し、
六日に会盟(かいめい)を行いました。
天皇、皇后、そして6人の皇子によって後継争いをしないことを誓いました。
おそらく今回の行幸と同じコースで吉野宮にて会盟したと推測します。
これら五月の事柄と持統天皇の行幸記録から贈答歌の時を推測しました。(補1)
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2.
ホトトギスは托卵(たくらん)する鳥です。巣をつくりません。
雌鳥はおもにウグイスの巣の既存の1卵とすり替え、
少し大きめのよく似た色の1卵を産みつけます。
(写1) H-ホトトギス U-ウグイス
仮親のウグイスはすり替わっていることも知らず、他の卵と共にあたためます。
ふ化したホトトギスは仮親の卵とヒナをすべて
放り出し、一羽になって育ててもらうのです。
「なんとオバカさんなウグイス、なんとガンマツなホトトギス」と思いながら、
なにか皇位争いや権力争いの一端が見え隠れしてきます。
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3.
ホトトギスの鳴声に特徴があることはよく知られています。
赤い口を大きくひらいて鳴くことから「鳴いて血を吐く」ともいわれてきたようです。
万葉集に
暁に 名のり鳴くなる ほととぎす、、(万-18)と詠われているように
名は鳴声「ホ・ト、、ト・ギ・ス」から称されたとされています
古代の鳴声と現在の声が変化したとは考えられず、
『古今要覧稿』に「籠の内に有て天辺かけたかと名のる声の殊に高く、、」と、記されており、
「テッペンカケタカ」と江戸人が聞きとっていたことがわかります。
かえこが「特許許可局は」ときくので、
「むかしは特許許可局はなかったの」と。
かえこ「ふーん」
額田王、娘十市皇女の波乱な人生と共に
天武天皇病没後、吉野の会盟の誓いは破れ、皇后(持統天皇)が天皇位につきました。
なぜか「テッペン カケタカ、、」のイメージがかさなって聞こえてきます。
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弓削皇子の歌に
ほととぎす なかる国にも 行きてしか その鳴く声を聴けば苦しも(万-1467)
ほととぎすのいない国に行きたいものだ。その鳴く声を聞くと苦しいから。(大意1467)
巫女的な感性があったとされる額田王は
弓削皇子のこのような気持を察知してしていたのかもしれません。
(図1)天上に描かれた線上には多くの恋い慕うドラマが展開されました。
つづく
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(注1)額田王(ぬかたのきみ)生没年不詳。『日本書紀』には額田女王、額田鏡王と記す。
父つは鏡王、天武天皇の妃、十市皇女を生。
(注2)弓削皇子(ゆげのみこ)生年不明、619年没。天武天皇の皇子。母は天智天皇の大江皇女
(注3)蜀の国王(望帝)は失脚、死後、霍公鳥(ホトトギス)となって往時を偲び鳴いた。
蜀の人々はそれを国王の魂と思い、悲しんだ。
(図1)『電子国土』に加筆、
(図2)『動物たちの地球 22』「ホトトギスの分布域」図 朝日新聞社 参照作図
(画1)『世界大百科事典』平凡社 1979 より加筆
(補1)持統天皇の吉野宮行幸は五月に限れば4回ありますが、過去、5月5日の蒲生野での薬猟、
5月6日の吉野宮での誓盟とのかさなりは持統7年5月1日〜7日までの行幸と考えます。
(写1)『動物たちの地球』「うぐいすの巣のなかに生み込まれたホトトギスの卵 」写真 津村はじめ
週刊朝日百科 朝日新聞社 1991より加筆
「托卵」については『日本動物大百科』平凡社、『動物たちの地球 22』朝日新聞社に詳しく記されています。
(万-111)(万-112)(万-113)(万-1467)(大意111) (大意112)(大意113)(大意1467)
『万葉集』新潮日本古典集成 新潮社 1976より
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