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Kのメモ NOV 23,2013 [店雑記・Kのメモ]


十一月の素描-飛鳥京跡苑池

今年は一度も飛鳥を訪れていない。

車で行けば35分で行けるんだけど、運転が出来ないのがネック。

「かえちゃん電車でいこうか」

「寒いからいい」

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古代から池には溜池のようなものと観賞用のものがありました。

鑑賞用のものは庭園に備わり「苑池(えんち)」などと呼ばれています。

明日香で飛鳥時代につくられた
「飛鳥京跡苑池(あすかきょうあとえんち)」という大きな苑池が発掘されています。

水深は30センチぐらい。

多くの研究から、神仙の世界を描いたものだろうと推測されています。


橿原考古学研究所が飛鳥京跡苑池の
曲線形の中島の全貌を発表したとasahi.comに記されていました。


2002年に発行された『飛鳥京跡 苑池遺構』の調査概要を見ると
第二次調査(2000年)で、すでに中島の平面概要(図-1の赤い部分)は報告されています。


Menchi1122.jpg
(図-1)

私は以前から池に作られている島状石積みの形に興味を持っていました。

長辺、短辺の比がほぼ黄金比(1:1.618)に納まり、飛鳥の石造物「亀石」とも底面が類似するのです。

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形には必ずといってよいほど原形があり、それらに人間のイメージが加わり新たなものがつくられます。


詳細な資料もなくアバウトだけれど、中島のイメージを膨らませます。


形そのものに注視しイメージをふくらませると、
いろんなものが浮かんできます。

私は一番に浮かぶイメージがとても大事だと思っています。



まずジグソーパズルのピースが浮かびます。

Menchi21121.jpg

そして、幹が20cmほどの松が植えられていた(赤丸印)とのことから、

松の樹皮をイメージしました。

matu1121.jpg

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子供の頃、近所で松の樹がいっぱいの裁判所でよく遊びました。

いつのまにか、ポケットには松の樹皮から採った、ジグソーパズルの
ピースのようなものがふたつ、三つと入っていたことを思い出します。

形がおもしろく、ふしぎなものに見えたのかもしれません。

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中島上の松の樹が植えられていたところの位置を飛鳥京と推理すると、
中島上の他の二つの水場(淡青印)は住之江と丹後半島かも、と。

すると、当初発掘された石積みの島は常世国?浦嶋子の世界なのでしょうか。

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ちがう。

クジラかもしれない?

だから石造の噴水施設があったのかも、と。

松の樹は吹き上げをイメージしているんじゃ?

そうすると、水場がイメージできないし、石積みの島も?になる。

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三番目に思い描いたのは「呉」という字。

推古天皇朝のとき、宮の南庭に百済から来た渡来人が「呉橋と須弥山」をつくったことが記されています。
呉橋の解釈は確定してなく、階段状の橋、そり橋、石橋など、いろいろ。

kure1122.jpg
(図-2)

「呉」の語源を白川流で調べると、
「口」と「(そく)」、「口」は祝祷をおさめる器の形。
は人が頭を傾けているいる形、身をくねらせ舞う形、とか。

飛鳥京跡苑池の南池の形はなぜか不等辺五角形をしています。
語源をみるとも五辺を示している。
「呉」にはたのしむという意味も含むようで、
飛鳥京跡苑池は鑑賞だけでなく娯楽用の苑池だったのかも、と。

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アームスタンドの灯りのなか、ベッドに横になります。
布団乾燥機のスイッチをONして、布団と体を10分ほど暖めます。
ホッカ、ホッカして気持がいい。

目を閉じる頃、中島の形に重なり古代日本の地図が浮かんできます。

奈良時代に行基が作成したとされる地図を参考に描かれた複製図があります。
江戸時代初期まで数々複製されたようです。

chizu1123.jpg
(図-2)

形が似ている。

日本の本州の形を中島に描いたのかも。

飛鳥京でもなく、住之江や丹後でもなく、でも地図であって、
松の樹皮であって、クジラであって、をイメージしたのは違っていなったのかもしれない。
ジグソーパズルのピースのよう。


「かえちゃんどう思う?」ときくと、

かえこ「わかんない」



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中島のイメージではありませんが、

白という語源を求めると一説に、親指の爪の長く延びた象形字、との解釈があります(注-1)。

haku1122.jpg
(図-3)

天武天皇14年十一月六日の条に記されている「白錦後苑(しらにしきのみその)におでましになった」は、
この苑池を中心としたものだったかもしれません。

Mhand1123.jpg


飛鳥はたのしい。




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(図-1)『飛鳥京 苑池遺構調査概要』奈良県立橿原考古学研究所 学生社 2002より加筆
(図-1)『持統』白川 静  平凡社 2007より加筆
(図-2)『日本生活文化史2』河出書房新社 1980より加筆
(注-1)(図-3)『漢字の語源』山田勝美 角川書店  1977より加筆








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