SSブログ

Kのメモ DEC 24,2013 [店雑記・Kのメモ]


Light of December-飛鳥の光6


飛鳥の光は
きっと、今年明日香に行けなかった飛鳥からのプレゼントかもしれない。

と、思いながら法隆寺に関する古本を数冊注文します。

...............................................

昨日は知り合いの造園屋さんが来てくれて、松と桐を切り取りました。

私はずっとおしゃべりと
松ぼっくりを拾ったり、切り込みの幹につけたロープを引っ張ったり。

今日は残りの桐を切り取り、高く繁った楠を小さくします。


実家から帰宅し、ポストに届いていた古本に眼をとおすのは未明。

姪っ子のSさんからも勤める美術館の案内状と招待券が届いていた。

姪に連れられ、実家に来た時のかわいい顔が浮かびます。

........................................


F線上に位置する法隆寺の空間に何があるのか、角度を変えながら
少しずつズームインしています。

被葬者の正体を鎌足とする
『蘇った古代の木乃伊』には、T大学医学部の協力で発見時に撮られた骨のX写真から、
被葬者(ミイラ)の体の状態が記されています。

かえこが「久しぶりに骨の写真をみるね」と。

「そうね。1300年以上も前のものがこんなに美しく残っていたんだって」

骨屋が骨の写真をみる。

....................................

Mhone1223.jpg
(図-1)

記事や写真から、背面からの体幹骨の図に記してみました。

T大学I先生の所見では、
第11胸椎の圧迫骨折(押しつぶされ変形した状態)、3本の肋骨の骨折、
左腕の脱旧骨折、指の骨折など。また、ギックリ腰の症状もあった。

その他、スポーツ肘やテニス・エルボーと呼ばれる
肘の変形症状もあり、弓や馬術で鍛えたものではないか。

これらの骨折状態では、半身不随、寝たきり、
よくもって半年、三、四ヶ月が妥当の命であったのでは。

骨折原因は、
オートバイや高所から落ちた労災事故のような事故想定ができる。
あえていえば、落馬か高い建物からの転落。

などと、記されています。(注-1)


このようなことから調査研究会の一員のNさんが、
病(落馬が原因の骨折か)の床につき、思い出の場所の山上に墓をつくることを遺言して
五十六歳の生涯を閉じたのであろう。と記しています。(注-1)

病であったことは
『紀』天智天皇八年(669)冬十月十日の条に
「天皇は藤原内大臣の家にお越しになり、親しく病を見舞われた」ことが記され、

天智天皇八年(669)冬十月十六日の条で「亡くなられた」ことが記されています。

..........................

「落馬ね」と、イメージをふくらませながら、
自分の骨折とかさねます。

古文献では鎌足が落馬したことは記されていません。

筋肉質で身長164cmぐらいを想定すると、落ちたとき250kgぐらいの力がかかった?

「鞍上より、もっと高いところじゃないかしら?」と。

.....................

『紀』に落ちた記事がないか探すと

同八年(669)秋の条に、
「藤原内大臣の家に雷が落ちた」とあります。

....................

かえこに「おばさん雷が落ちたで、鎌足が落ちたなんて書いてないじゃん」と言われながも、

落雷で骨折するようなことがあるのか、調べてみると、

直接彼雷しなくとも、近くであったり、強かったりした場合、
強く飛ばされたりするようです。


.................

さて法隆寺ですが、
再建前のものは天智天皇九年(670)夏四月三十日、
明け方に出火し、建物は全て焼けた。大雨が降り雷が鳴り轟いた。と記されています。

......................................

(図-1)『新編 美術解剖図譜』東京芸術大学美術解剖学教室 編  日本出版サービス 1894 より加筆
(注-1)『蘇った古代の木乃伊(ミイラ)』小学館 1988より加筆














タグ:飛鳥の光
コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

Kのメモ DEC 22,2013Kのメモ DEC 27,2013 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。