Kのメモ JAN 14,2014 [店雑記・Kのメモ]
三つの獅子
連休にFさんに誘われ次男のところに行くことになった。
孫の顔がみたくなったのと、道明寺駅を注視したかったので。
電車が道明寺駅に着くと向いのホームに電車が停車していた。
「乗り継ぎはスムーズに行きそう」と、目的のひとつは果たす。
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カバンのポケットには
先日古本で買った『維摩経講話』文庫本を一冊。
パラパラと目をとおす。
維摩さんの像が頭の中に重なり浮かんできた。
一つは法隆寺五重塔の維摩さん(写-1)。一つは興福寺の維摩さ(写-2)。
(写-1)
法隆寺の像は脇息(きょうそく)の一本足が獣脚。興福寺の像の座には獅子が彫られている。
(写-3)
かえこが「また獅子さんがでてきたね」と。
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法隆寺を訪れたくなったのは
「飛鳥の三角形(仮称)」を法隆寺西院伽藍でもみつけたから。
三角形の原形は酒船石の丘の地形にあり、
酒船石にも潜んでいることを記したことがあります。
とかく古代のお寺の伽藍配置を川原式、四天王寺式などと称し
お堂や塔の配置から分類していますが、
私はそのようなものに縛られない、もっと広い空間の中に
飛鳥の興味を抱いています。
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三角形が山田寺の空間にもあるのかしら?などと
目を閉じイメージしていると、
「まもなくアベノバシです」というアナウンスが聞こえ、
車内を見渡すとおばさんたちでいっぱいでした。
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「おねーちゃんよ。おばーちゃんよ。ばぁ」などと、
ポカンとした孫娘を抱きあやし帰宅。
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昨日、山田寺の資料を出し三角形をさがします。
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山田寺の造営、建立については『上宮聖徳法王帝説』の裏書きに、
ある本に記されていたとし、
舒明13年(641)の寺の造営の開始が記されています。(参-1)
(書-1)
どうして法王帝説に山田寺の建立について記されているのか、
それも裏書きで、と素朴な疑問がわいてきます。
推古朝の三宝が舒明朝に引き継がれ寺の造営がはじまった、と
素直に考えることに。
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三宝をつつしみうやまうんだから、もしかしたら、、と
伽藍内に求めますがみつかりません。
疲れてきて、なんとおバカさんなことをしているんだろう、と思いつつ、
最後境内にひろげてみると、
「あった」
(図-1)
山田寺の境内、大垣内に三角形は内包されていたのです。
同じ三角形は川原寺の伽藍にも内包されています。
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『字統』から三宝の「宝」の字源を調べるとおもしろい世界が
ひろがります。
(図-2)
ベンとホウ字はもと保に従う字とされ、宝・保は通用の字と記されている。
三角形が潜む酒船石上面の象形の彫りは呆かも、と。
玉を抱いた呆かもしれない。
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酒船石のある丘は斉明天皇二年(643)、
時の人は謗っていったとする「狂心(たわぶれこころ)の渠」をつくり、石を運び、
造成されました。
その時、石工もまた、
「なんておろかなものを彫って」と思ったかもしれません。
獅子のつながりから三宝の世界に入ってしまった。
またまた飛鳥を回帰しているのかもしれない。
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(写-1)『法隆寺』村田治朗 上野照夫 著 佐藤辰三 撮影 毎日新聞社 1960より 写真に 加筆
(写-2)Wikipediaより 加筆
(書-1)『奇偉荘巌 山田寺』飛鳥資料館図録47冊 2007 より抽出加筆
(写-3)『飛鳥の寺と国分寺』岩波書店 1985 より加筆
(図-1)『奇偉荘巌 山田寺』飛鳥資料館図録47冊 2007 より加筆
(図-3)『字統』白川静 平凡社 2007より加筆
(参-1)『奇偉荘巌 山田寺』飛鳥資料館図録47冊 2007
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