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Kのメモ APR 27,2014 [店雑記・Kのメモ]



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夏恵子の珍道中記

ペルシアと石城-12-1

 
 日中は30度をこえている。
父の仕事場の大きな工場扇を部屋に運んでくる。
ブーンと勇ましい音をたて回り出す。
涼しいというより煩さが先きだち、一長一短の感じ

 「珍道中記なんて、読んでくれるかしら?」とセンスもユーモアもない准教授の顔が浮かぶ。

「読み直したのか。文章もおかしいし、誤字だらけじゃないか」

「父のDNAよ」

「あかん、あかん。とにかく進まなくちゃ」と夏恵子は机のパソコンに向かった。

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 鞍作鳥一族も路子工もペルシア系の渡来人であることはほぼまちがいないとすれば
「彼等がなぜ熱心な仏教徒だったのか?」と思うと
古代ペルシアを知らなくてはならないがペルシアの歴史なんて遠くて陰影の薄い世界であった。
 
「たしか彼女も記してたはず」と、

本棚から主人公高須通子に憧れた『火の路』の取り出す。
頁を繰る
と、
百済からきたとする路子工について記されている。
百済国から来たとあるが、これはあやしく中国から百済に来ていたペルシア系の人とし、
百済国人なら南朝鮮に石造の須弥山や呉橋が出来ていてもおかしくないとしている。(参-1)

「そのとおり」と思った。
 
飛鳥の石造物を朝鮮のものと比較し、そっくりだ、などと記す学者もいるが、
朝鮮のものは邪気(筆者の主観)が潜んでおり、以前から同じだとは思ったことがない。
 
中央アジアにいたペルシア系人は、中国と本国との交易中継
にあたり、
さらなる利益を得るため天山南路②や北路①を経て
中国に入り涼州や長安◉に住したと記されている。

Bpersia1.jpg
(図-1) 

資料の図をもとに東西アジアの交易路と仏教の広がりを描いてみた。

おそらくこれらのルートを経て飛鳥に渡来したものとイメージする。
 
「飛鳥の石造物」にて珍石をインド亜大陸にコラージュしたが今一度試みてみる(太点線)。

「よし、よし」やっぱりパズルのようにはまる。
(細点線)
 

「もしかすると路子工の故郷は珍石の伏鉢部分あたりだったかもしれない」と地図を眺め、
「じゃ、西域南路を通って、涼州か長安あたりに住んでいて、
それから百済にきて、飛鳥に渡来した?」などと、ルートを
推理すると楽しい。
 
高須通子は路子工を「路子」という名の工人だと記している。
「路子」は漢音でlu-zi、lu-ziはli-siに近いことから元は
「李子」または「李斯」などではなかったかとし、その工人が漢字を知らなく、
彼の発音から飛鳥朝の役人が勝手に「路子」に当てはめたのだろうと、
おもしろい大胆な推理を描き記している。(参-1)
 
「須弥山と呉橋を構成できるんだから、漢字は知って
いたはず」と思ったが、
「気転の発想が必要かもしれない」と思いかえした。

「漢字を知らなかったから、「南庭」をインド亜大陸の南インドと解釈したのかもしれない」
 

.............................

何か新たな形と出会うかもしれないと、
ペルシアの地を遡ってみることにした。



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(図-1)『仏教新発見』週刊ビジュアルシリーズ 朝日新聞社 参考に加筆
(参-1)『火の路 下』松本清張 文芸春秋 1975



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