Kのメモ AUG 19,2014 [店雑記・Kのメモ]
古墳
13日、多くのメディアが一斉に明日香の都塚古墳を
「ピラミット状の古墳」とタイトルし、発信した。
わたしも現地説明会に一瞬行こうか迷ったが、
暑いのと大勢の人が予想され、数カ所のピット掘りからの
解析であることなどから止めた。
後日の報道で当日4000人以上の見学者であったともされ、
正解であった。
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ピラミット状と言っても、底辺に対して高さが7〜8mほどで、
上へゆくに従い順次に高さが減少するジッグラト状でもある。
高句麗の将軍塚古墳などとも類似する。
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興味あるのは1967年の調査で28〜30mほどの方墳の可能性が指摘されていたが
今回の調査で41m×42mの方墳であったことが新たにわかった。
また、近くにある石舞台古墳と比較すると、
方墳、石室ともほぼ同じ方位である。
(資-1)
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一般的な推測から石舞台古墳の被葬者を「蘇我馬子」とすれば、
被葬者は父の「蘇我稲目」かもしれない。
親子は似るものである。
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ではどうしてその位置に作ることにしたのだろうか。
都塚古墳は細川谷の古墳群の入り口にあたる。
一説に200基ほどの古墳群は蘇我一族の群集墳ともいわれている。
(資-2)
馬子がすでに島圧の地(下桃原?)に住まいをもっていたならば、
その上手(上桃原?)で谷の入口として選択されたのでは?とも思えてくる。
では、石舞台古墳は既存の古墳も壊し、その地につくったのは?
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都塚古墳も石舞台古墳も方墳であることは記した。
このふたつの古墳の関係を形象的にみると、下図のような関係が
アバウトであるが見えてくる。
都塚古墳の横穴式石室の主軸は33度東に振っており、
石舞台古墳の主軸とほぼ同じである。
両古墳のクロス点の対角比が1:1.618の黄金矩形がつくられる。
そして黄金矩形の中に相似図形が無限につくられ、
その頂点をつなぐと無限のφ螺線となる。
都塚古墳は「金鳥塚」ともいわれ「金鳥伝説」がある。
螺線を描いていると飛び立つ鳥のイメージがわいてくる。
おもしろい。
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(資-1・2)『蘇我三代』飛鳥資料館 図録第28冊 2000より加筆
(資-2)『明日香村史』明日香村 1974より加筆
(参考)『飛鳥の遺跡』「都塚古墳」網干善教 駸々堂 1978
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