Kのメモ NOV 23,2014 [店雑記・Kのメモ]
道
わたしの実家近くの国道24号線は拡幅工事がなされ景観が変わりました。
そのなかで新町筋から大手筋(大手通りともいう)を経て裁判所(昔の代官所跡)に上がる道が
国道24号線と交差しています。
わたしが小学校に通っていた頃は、歩道橋は設置されていませんでしたが、
その後、交通量も増し設置されました。
...............................
拡幅工事に伴って旧歩道橋は撤去され、4、50mほど先に新設されました。
この案件について「奈良国道事務所」はPDF文書で公開し、
「交通安全事業の合意形成について」とタイトルし設置決定の推移を記しています。
二見寄りに幻の五新鉄道の架橋も交差しており、その計画案が
住民に十分説明されなかったことなどから、
平面交差(信号案)と立体交差(歩道橋案)の二案を提示し、自治会(小学校区)と学校関係の多数決で
立体交差案に決まったことが記されています。
.........................
地元の大手町自治会は平面交差案(信号案)に賛同したようですが、
近隣地区以外の自治会と学校関係の多くが立体交差案に賛同したため、
ふたたび歩道橋が先に新設されてしまったようです。
................................................
確かに学童の通学路としての安全の確保は大事なことです。
しかし、
実家の駐車場の掃除をしていると、
車のとぎれを見て国道をわたる年輩の方をみかけます。
実際、わたしも裁判所側に渡る時、歩道橋まで遠くて行きません。
足が不自由だと歩道橋で渡るのも大変です。
旧歩道橋も渡る人が少なかったことを思い出しながら、
「どうして、信号機でないの?」と首を傾げたくなります。
近年、新町筋は歴史景観保存で地域指定され、
多くの観光客の方が訪れるようになっているようです。
新町筋から大手筋(大手通りともいう)を経て代官所跡に上がる道は歴史を辿る道でもあります。
大手町、大手通りという名の由来も代官所があって生まれたと聞いたことがあります。
(写-1)
道は歴史の流れを示すものであり寸断されれば
観光の流れさえも閉ざしてしまう結果となります。
子どもからお年寄り、体の不自由な方から来訪の方まで、
みんなが安全で便利な道づくりをしなければ新しい道づくりと言えません。
................................
地図に記していると、
福祉、教育、文化、観光、地区,等、大きな視点から
深い考察が必要だったのではないか?と、つい思えてきます。
..................................................................................
(写-1)元代官所跡長屋門
天誅組により現・市役所の地にあった代官所が焼かれ(文久3年-1863)、
後(元治元年-1964)幕府が新たにつくった代官所の残存する長屋門。
松の茂りでいっぱいだった門前は、
史跡公園として整備され、昔の景観は失せましたが
風のながれは変わっていませんでした。
タグ:大和五條
コメント 0