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Kのメモ SEP 3,2015 [店雑記・Kのメモ]


mozu0902.jpg
モズのはやにえ

一昨日の早朝。
一階でko7たちを探していると、
ヒメコウゾの木の枝にモズの速贄(早贄・はやにえ)をみつけます。(写-②)
先月28日にも田園を散歩していてみつけました。(写-①)

Mhayanie0902.jpg

鳥類のなかでもっとも進化したグループのスズメ目に属するモズは、
体長20㎝ほどで鋭いくちばしを持った猛禽な鳥で、モズのはやにえでも有名です。

『日本書紀』仁徳天皇67年十月の条に仁徳陵の地名説話として、
陵を築いた日に、
鹿が野より出て来て、役民の中に入り倒れ死んだ。
傷を探すとモズが耳より出て来て飛び去ったので、
耳のなかをみるとことごとく食いかじられていた。
それでそこを百舌鳥耳原(もずみみはら)というのはこのいわれである。と記され、
モズのどう猛さと、
死に至らしめる事は当時から知られていたことがわかります。(参-1)

はやにえの「贄」は、天皇、首長または神に奉る土地の貢ぎ物で、
海の幸、山の幸、鳥などの食用に供するもので、速贄は鮮度を保つため、
飛脚を使ったようです。
南方熊楠氏は、「贄」を木の枝に付けて捧げたので、
モズが枝などにさしたカエルや鳥、昆虫などを、
その速贄に例えたのではないか、とも記しているようです。(参-2)
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『日本書紀』
仁徳天皇38年七月の条に記されている猪名県の佐伯部の「苞苴(にえ)」は
牡鹿であり、「苞苴」が「にへ」であったことは
神武天皇即位前紀に、
「苞苴坦、此をば珂倍毛菟(にへもつ)と云ふ」の訓註からも明らかとし、
鹿が「贄」の貢ぎ物であったことがわかります。(参-3)

これらから、
前記した仁徳陵の地名説話に登場するモズが人より早く鹿を捧げたとも解釈でき、
「モズのはやにえ」と称される可能性もイメージできます。

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モズがどうして速贄をするのか?は、
満腹時説、足代わり説、境界説、貯蔵説、嫌い物説などの説があり、
結論は出てないようです。(参-4)

ヒメコウゾの速贄前日、当日と、近接のビワ、桜の木で、
モズが「キーイ、キーイ」と何度も激しく鳴いていたことを覚えています。
昨日昼過ぎ見に行くと、枝には速贄はありませんでした。(写-③)
枝から約20㎝後方下のシダに白い糞の痕跡がありました。(写-④)
かえこが「スカルみたいなウンチだね」と。
Mkaeko0809.jpg
脇のスカルポットをみて描いたのかもしれません。
どう猛だけど、匠的なものを持っているのかも、、、

早朝、キーイ、キーイという鳴声が山裾の③の方角から聞こえ、
少し時間が経つと、桜の木に渡ってきます。
2、30分いて、何処かに去っていきました。

Mhayanie0902-2.jpg

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(イラスト)『世界大百科事典』平凡社 1972より加筆
(参1)『語源辞典』動物編 吉田金彦 編著 東京堂出版 2001より加筆
(参-2)『蛙』ものと人間の文化史64 碓井益雄 法政大学出版 1989より加筆
(参-3)『稲と鉄』日本民俗文化大系 3 
王者と祭儀 上田正昭 小学館 1983より加筆
(参-4)『日本動物大百科 4』モズ 山岸 哲 平凡社 1997より加筆




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