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Kのメモ APR 10,2013 [店雑記・Kのメモ]


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飛鳥への道

『桜の来た道』を読んでいると、
サクラという言葉が最初に記されているのは
『日本書紀』履中天皇三年(402年?)
冬十一月(今の十月)の条に、

天皇は磐余の池で両枝船(二つの艘をもつ舟?)を浮かべ妃と遊ばれていた時、
さくらの花びらが盃に舞い落ちました。
天皇は
「さくらの咲く時期でないのに、どこから来たのだろう。探してこい」と
配下のものに命じます。

そして、配下のものは腋上の室山でその花をみつけ奉ります。

天皇は大変喜ばれ、宮の名前を磐余若桜宮と名付けられたのが

宮の名前のもとである。と記されています。

そのサクラです。

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著者の染郷さんはこの時代に秋咲きのサクラが存在していたこと、
いつの時代も秋に咲く形質(先祖返り)のサクラが生じてもおかしくない、と
記されています。(注1)

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私の飛鳥への道は決まって図のコースを車で走ります。

河内の水分神社(みくまりじんじゃ)と葛城の水分神社にはさまれたR309を走りぬけ、

室(むろ)の里(ピンク色のところ)にはいります。

この室の里の山に秋サクラが咲いていたようです。

いつも車の窓を開け、風を感じながら乗っていますが、

なぜか、ムーと感じるときが多々あります。

強い風が吹かないところかもしれません。

決してこの地区で咲いてた、としてもおかしくないのかも、と。

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R309に別れ、北に。
役行者ゆかりの吉祥草寺に向かって走行します。

そして、手前で右折し、曽我川を渡り左に折れ、

斉明天皇陵(宮内庁指定)を右脇に眺め走行。

少し先でまた右折し、まっすぐ。
貝吹山、牽牛子塚古墳を左手に峠を下れば、近鉄吉野線 飛鳥へ。


約35分のコースです(赤丸〜赤丸)。

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いつも、なんて素敵な飛鳥への道、と思いながら、

さらに秋の楽しみがひとつ増えました。

かえこが
「明日香に行った時、見なかったよ」といいます。

「あなたが行った時、夜だったし、もう寒かったじゃないの」と返事しながら、


「秋には咲いてるかもしれない」と、こころで思ったりして。


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(注1)『桜の来た道』染郷正孝 信山社 2006 より









タグ:飛鳥への道
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