Kのメモ DEC 19,2013 [店雑記・Kのメモ]
Light of December-飛鳥の光2
小原・宮滝
阿武山古墳と藤原京、そして吉野宮を結んだ線上をさらにズームインします。
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じぇじぇじぇ。
線上に明日香村小原(おはら)の地が見えてきます。
たしかこの地の写真はおさめてあったはず、とデータを探すけれど
思ったものが出てこない。
かえこが「もう少しちゃんと整理しておけば」と。
まさか、鎌足の世界までイメージが広がるなんて、思ってもいなかった。
万葉文化館でコーヒーを飲みながら、こんもり樹々が繁ったあたりを眺めながら
あの辺りが鎌足の生誕の地かしら、、と思ったぐらい。
当時の私は亀石と酒船石のことしか頭になかった。
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小原あたりより畝傍山、二上山を望んでおさめた一枚。
左手前が万葉文化館。
明日香村大字小原(おはら)
明日香村の東部、万葉文化館の東に位置します。旧称は大原(おおはら)。
『高市郡古跡略考(宝暦元年の書)』にはもと小原であったが中古に大原とし、
延享四年(1947)に小原に改めたことが記されているようです。
『多武峰縁起』には大原藤原の地、
『和州旧跡霊考』『大和志料』などには中臣氏邸宅があったと記されているようです。(注-1)
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明日香でもこの地は大きく取り上げてなく、
幾度と足を運び近くを通りますが人影は多くありません。
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線上に吉野宮、小原、藤原京、阿武山古墳が位置することは、
鎌足を意識し墓地(阿武山古墳)が設定されたのでしょうか。
発見当初から「貴人の墓」と称され、副葬品や人骨の精査から鎌足説が有力視されてきましたが
でも、この線上には絶対見えてこないお二人です。
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吉野町宮滝の吉野宮もズームインします。
宮滝の駐在所あたりに至ります。
発掘調査の遺構から宮は
一期(七世紀中期頃)、二期(七世紀後期〜八世紀初頭)、三期(八世紀前期〜中期頃)と
区分されるようです。(注-2)
柴橋から象の小川の注ぎ口、夢のわだをおさめたものです。(カメラマーク1より)
斉明朝の吉野宮(一期)に近い位置から三船山、象山をはさみ、青根ケ峯(あおねがみね)を遠望ものです。
(カメラマーク2より)
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22日(日)には高槻市で鎌足と阿武山古墳のシンポジウムが開かれます。
(図-1)
多くの学者さんたちが何を話されるのか興味ありますが、
定員は締め切り。
きっと天上からの試みはされないと思いますが、、、
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(図-1)高槻市HP PDF資料より
(注-1)『奈良県の地名』日本歴史地名大系30 平凡社 1981より
(注-2)『憧憬 古代史の吉野』吉野町 1992より加筆
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