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Kのメモ APR 11,2014 [店雑記・Kのメモ]



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夏恵子の珍道中記

石のライオン-5
 
 夏恵子は高校入学から美術クラブで絵を描いていた。
明日香に興味をいだいたのは
先生に「夏恵ちゃん、明日香まで近いんだしポケッと歩くのもいいぞ」と言われ、
土、日曜日は頻繁に歩いたことだった。
そんななかで謎の石造物に出合い、珍石にも出合った。
当時から案内板の文面は変わらず
「この説明はマラ石と決めつけ記しているんじゃないのかしら?」と疑問をいだいていた。
 
その後、
雑誌の特集記事でペルシアの「石のライオン」を見、
頭にあった珍石のイメージと似ることから、
珍石をライオンとしてみつめるようになった。

 「石のライオン」はペルシア帝国滅亡後、
紀元前301年マケドニアの指揮官セレウコスが
イラン、メソポタミア、北シリア、及び小アジアを掌握し新たなセレウコス朝ペルシアを築いた。

chizuraion.jpg
(図-1)
その当時の町のひとつハマダン(古代エクバタナⓗ)にセレウコス朝の数少ない美術品として
アレクサンドロスの東征のおり当地で死亡したとされる忠臣ヘファイスティオンを
たたえつくらせた墓碑と伝えられているものと記されている。(参-1)
しかし、アレクサンドロスがマケドニアの提督バスティオンを記念とした説や、
アケメネス朝やパルティアのものであったとする説もあり定かでないようだ。

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石のライオンと
珍石
を比較すると、
 ⑴角度をもって座する形。
 ⑵は胸部の反りで、どちらにもその特徴があること。
 ⑶は側面下部に脚部の彫りが見られること。
 ⑷は頭部下部の首位置にどちらも縁彫りがあること。
 ⑸頭部が丸いこと。
これらの共通点や特徴から珍石がライオンであった可能性を強くイメージし、
寺の狛犬や獅子石のように守護符だったのではとイメージをふくらせていた。
 
ネットで「石のライオン」を探すと、トドともいわれイラン三大ガッカリの一つとされている。
(他はヤスドの聖火教寺院・イスファインの揺れるミナレットだとか)
また、ルリスタン地方(サグロス山脈中)ではこのライオンに女性が乗り、
男性の手を借り降りると結婚がかなうとも記されていた。

S子にこの話をしたら、
「私は遠慮するから、夏恵子、行ってライオンに乗って来たら」と言われた。


..................................................

(図-1)
『大帝国ペルシア』 ジム・ヒックス タイムライフ編集部 後藤 建 訳
 タイムライフブックス 1980より加筆
(参-1) ③『大帝国ペルシア』NEWTONアーキオ ニュートンプレス 1999より加筆



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