Kのメモ FEB 12,2015 [店雑記・Kのメモ]
小山田遺跡-2
かえこに励まされながら、、
昨年12月下旬から始めた制作をやっと終えた。
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二ヶ月たらずのその間、いろんな事件や出来事があった。
便利に小さく薄く軽くなる物の世界とちがって
なにか複雑さが増し、絡まる世界のようにも感じながら、
未明は小山田遺跡の掘割遺構をずっと覗き込んでいた。
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線上に見えるものを描くなか、
周辺も見渡すとおもしろいものがみえてくる。
(図-1)
「小山田遺跡」に接するように「菖蒲池古墳」がある。
発掘された掘割遺構が方墳の北一辺だとすると掘割のライン(赤線)と、
方墳とする「菖蒲池古墳」のライン(赤点線)が
どちらも同じ方向を示すことがわかる。
この方位のものを飛鳥に求めると、
「坂田尼寺伽藍」のライン(赤十字線)とも
かさなりを見、同じ方向に形していたことがわかる。
(図-2)
ペルシア・ペルセポリスの遺跡とも類似する。
原点はこの辺りにあるのかもしれないと思いながら
過去のページを捲ると、
「坂田尼寺」の位置から北方向に並ぶ線上に
飛鳥寺、大官大寺、高市大寺(木ノ本廃寺跡付近?)が並んでみえる。
(図-3)
これらから「小山田遺跡」を推測すると、
「菖蒲池古墳」「坂田尼寺」とも関係するもの、
官寺との繋がりもあるのではと、思えてくる。
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「菖蒲池古墳」から
「小山田遺跡」と「舒明天皇陵」を結ぶラインに沿い、ほぼ並行に線(青点線)を描くと、
片方は欽明天皇陵(梅山古墳)に、片方は「飛鳥寺」「山田寺」を経て
舒明天皇陵域内の「大伴皇女陵」に至る。
(図-4)
興味を引くのは二本の線上の間に「鏡女王の墓」が位置すること。
陵墓は大伴皇女、舒明天皇、鏡女王の順で造られたと推測するが、
どうしてその間に造られたのか?と思い調べていると、
「舒明天皇と血縁関係があった」との説もあるらしい。(注-1)
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欽明から舒明までの親子関係にラインを描いてみると、
間(グレー点線)に、
鏡のように映りえるものがあるかのようにイメージがわいてくる。
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方位の一致するラインを「小山田遺跡」から西方向に描くと、
「酒船石遺跡」に至る。
(図-5)
うっすらと斉明天皇(皇極天皇)のラインが浮かび、
酒船石のある丘の三角形がよぎる。
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よくよく考えると、『額田王・線上のゲシュタルト』や
昨年記した『夏恵子の珍道中記』、そして『飛鳥迷宮』に至り、
グルグル廻っているようでもある。
もうすぐ東大寺二月堂のお水取りが始まる。
燃え盛る大松明を持ち巡る姿が浮かんでくる。
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(図-1)『小山田遺跡掘割遺構発掘調査現地資料』橿原考古学研究所 2015より加筆
(図-2)
『大帝国ペルシア』
ジム・ヒックス タイムライフ編集部 後藤 建 訳 タイムライフブックス 1980
『坂田寺跡伽藍復元図』明日香村より 加筆
(図-3)『夏恵子の珍道中記』加筆資料より
(図-4)国土地理院電子地図に加筆
(図-5)『酒船石遺跡発掘調査報告書』明日香村 2005 掲載地図に加筆
(注-1)『額田王』直木孝次郎 吉川弘文館 2007
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