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Kのメモ APR 19,2014 [店雑記・Kのメモ]



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夏恵子の珍道中記

石の主-7

 寺の沿革表(石の箇所6-1)より
鞍作鳥一族が関係した寺であったことが見えてくるが
彼らはどのような一族だったのか調べてみる。
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(図-1)

五〜六世紀に飛鳥には多くの渡来人が居住し、倭漢氏(やまとのあやひと)の支配下にあり、
さらに倭漢氏は蘇我氏の支配下にあったとされている。

そのなかに坂田に居住した鞍作鳥の祖父-司馬達等(しめだちと)は大唐漢人とも呼ばれ、仏教を広めたようだ。

『ペルシア文化渡来考』で伊藤氏は司馬達等を「黒馬」「黒馬の持ち主」と直訳され、
写音や義訳をへて「こころにおいて熱い者・熱誠者」と解釈している。

用明天皇に、出家し寺の建立と仏像の制作を奏上したとされる父-多須奈(たすな)は
「畏敬」と「はこぶもの」「導く・つれていく」の合成から
「畏敬の念をささげる者」と解釈。

飛鳥寺の丈六の仏像や法隆寺の釈迦三尊像の作者とされる
鞍作鳥(くらずくりのとり・止利仏師)は、
「鳥」をトゥール(トゥーラーン・非ゾロアスター教徒の住む地域)の対音とみなし
仏教徒をつよく示すものと解釈している。

おばの嶋(善信尼・ぜんしんのあま)は若くして出家し、尼僧の育成に当たったことが『紀』記されている。

これらから伊藤氏は鞍作鳥一族は非ゾロアスター教徒であり、
熱心な仏教徒のペルシア人だったか、ペルシア人に見える人達と記している。

また、井本氏も著書『飛鳥とペルシア』のなかで
異文化と仏教文化をあわせ持った一族であったと記している。

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坂田尼寺跡の小字名㊀をみるとフルミヤ、ハナゾの南上にイドノシリという名がある。
珍石付近で井戸跡(石の箇所6-5・図-1)が見つかっている。

鞍作鳥一族がペルシア系の人々だったとしたら、「もしかしたらカナート?」との思いから、
夏恵子はこのつながり(㉓赤点線)を求めたく、
ペルシアに発生したとされるカナートについて調べることにした。

..........................
 
奈良の春の訪れを告げる東大寺二月堂の「お水取り㉓」は
奈良時代より延々と続けられて来た行事で、若狭から地中をめぐり二月堂の井戸に運ばれるというものである。
 この行事をイラン学者でもあり住職でもあられた伊藤氏は
イランに起源する「カナート」と同じであると記され、
この説は東大寺も認められたことが『ペルシア文化渡来考』に記している。

夏恵子は母がいつも
「お水取りが済まないと春はこない」と言っていたことを思い出した。



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『ペルシア文化渡来考』 伊藤義教 岩波書店 1980
『飛鳥とペルシア』 井本英一 小学館 1984 
㉓『お水取り』奈良国立博物館 2001より加筆




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