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Kのメモ APR 20,2014 [店雑記・Kのメモ]



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夏恵子の珍道中記

カナート-8-1

 
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カナート(qanāt)とは
山麓の地下水を離れた農村の飲料水や灌漑用にひくための地下施設ⓠで
コレーズ(kah-rēz)カワス(kaha-rēz)とも呼ばれる。
古代イランペルシアの地にその源を辿ることが出来るとされ、
仏教儀式のなかにその要素がとりいれられ修二会のお水取りになったことは記した。
北方から正月の水が二本地下を潜って流下し
二月堂から地上に出るという考案はまさしくカナートを凝集したものとだとし、
カナートに潜む地下流水の根源に由来するものだと『ペルシア文化渡来考』に記されている。

お水取りの考案者は実忠和尚(じっちゅうわじょう)とされ『東大寺要録』に記された伝承話では、
和尚が修二会の修行中、神を勧請していた時、
若狭の遠敷明神(おにゅうみょうじん)が遅刻しやってきて、
お供えの水をお堂のそばに出したいと告げると、
黒白二羽の鵜が岩をわって飛び出しその跡から水がわき出でたとされ、
そこを閼伽井(あかい)とし、その水は澄み旱ばつになっても涸れなかったと記している。(注-1)
 
銅銭やハートが坂田尼寺跡の鎮壇具より見つかったことは前記したが、
それ以外にも小さな双耳瓶㉔や閼伽棚(あかだな)がみつかっている。

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 双耳瓶は液体瓶であったことは疑いなく、口径が大きいこと、持ち紐の耳孔があることから、
二月堂の大宿所で使用されたとする桃山時代の香水(こうずい)壷㉕とも類似を見ることができる。

そして金堂南妻東の壁外に基礎石二個があり閼伽棚跡(石の箇所6-5)と見立てられており(注-2)
二月堂の閼伽井のごとく、寺跡にもその痕跡があったことはカナートを意識したものではと思った。


「やはり、ここには水の女神を意識したものがあるのよ」



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(注-1)『ペルシア文化渡来考』 伊藤義教 岩波書店 1980より参考
(注-2)『明日香風』42号 「坂田寺を掘る」黒崎 直 飛鳥保存財団 1992
ⓠ『ペルセポリスから飛鳥へ』 松本清張 日本放送出版協会 1979 掲載
「イランの灌漑、とくにカナートについて」織田武雄原図 より加筆
㉔『飛鳥遺珍』 飛鳥資料館図録55冊 2011より加筆
㉕『お水取り』香水壷 奈良国立博物館  2001より加筆










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