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Kのメモ MAY 1,2014 [店雑記・Kのメモ]



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夏恵子の珍道中記

獅子-14-1


 紀元前286年頃インドでは
ヤウリヤ王朝アショカ王が仏教の聖地サンチーに
獅子が乗る石柱㊵を立てたり、石門に獅子を彫ったりしている。

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その後、仏像が作られるようになると、
蓮花座と共に獅子座㊶も表現されるようになる。
今もインドの国章は頭柱の獅子㊷を表している。

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中国には交易路をへて
オリエントから伝わった唐獅子や仏教と共に伝わった獅子座などが広がり、
やがて中国㊸、朝鮮を経て日本にも伝わったとされる。

ライオンが生息してない中国、朝鮮、日本では
想像上の霊獣として描き作られ、既存文化、宗教のなかに浸透していった。
 
............................

飛鳥では
仏教伝来前の
獅子像は見つかっていないが
伝来後には獅子を表現した石像がある。

 一説に
明日香村平田の池の畔に設置されていたとされている
猿石(総称)の一体、山王権現㊸の二面体の片方に獅子頭㊹が彫られている。
(実物はこのようにドテッとしていない。)
唐獅子や獅噛を思わせる面相である。

 
641年(舒明13年)、蘇我倉山田石川麻呂の誓願で造営がはじまり、
長期間の工事の末685年(天武14年)に
丈六仏の開眼を終えた山田寺の金堂西階段側石にも獅子㊺が彫られている。

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頭部が欠けており顔面の向きが気になるが須弥山界の影響を受け、
北向きだったとイメージする。

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飛鳥京跡苑池遺構に設置されていた流水施設の「流水石
㊻-2」
イメージを膨らませれば獅子頭L1・L2にも、インド亜大陸L3にも見え、
須弥山の世界にひかれていく。

 
Benchi3-1.jpg



Bsisi11.jpg

............................

これは珍石とイメージがかさなるのではと調べると、
(写-1)のように
「石のライオン」で記した珍石の特徴の
⑶側面下部に彫りが見られること、
⑷縁彫りが流
水石2にもあることがわかった。

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(写-1)

「じぇ、じぇ、じぇ。
やっぱり、須弥山の世界」と
須弥山
』で記した
チペット仏教の❽図を見る。

Bsumisen8-p.jpg

マナサルワール湖の北からは獅子の口の河が流れている。
流水石1はこころの湖
マナサルワール湖、苑池では南池、
そして苑池の北池は悪魔の湖だったとするラカス湖かもしれない。
そこから北に位置するのはカイラス山である。(注-1)


Bsisi12.jpg
(写図-1)

「じぇ、じぇ」
流水石3のS立面の形が珍石の縁取り
より上部の形に似ることがわかる。


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(写-2)

『須弥山』でも記したカイラス山は
古くは「カイラーサ」とも呼ばれたらしい。
サンスクリット語のキラ(楔・くさび)とアサ(座)からなった言葉とされ、
「楔の座」を意味するようだ。(参-1)


飛鳥の石像物
』で斉明朝に記された須弥山を推理し、
飛鳥京跡苑池遺構もそのひとつであることを記した。
これらのつながる形からも珍石が須弥山石であった可能性が深まる。

旅の疲れと暑さを感じながらも、
「やっと珍石とつながるものが見つかった」と夏恵子は思った。




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(注-1)(参-1)
『西蔵・聖地カイラス巡礼』NHK取材班 日本放送出版協会 1985

マナサロワール湖について
『西蔵・聖地カイラス巡礼』に、
カイラス山がシバ神の王座とされているならば、そのシバ神が白鳥に姿をかえて泳いでいるのが
マナサロワール湖である。
サンスクリット語では「マーナサ」または「マナサ」とは
「心」「魂」を意味し、マナサロワールは
心の湖」ということになる。
この「心」は天地創造の神ブラーマ(ヒンズー教三神のひとつ)の心を映すということで、
正確には「ブラーマの心から作られた湖」となる。
チベット人はこれを「ツォ・マパン」と呼んでいる。
「ツォ」とは湖のことで、「マパン」は「征服されない」あるいは、「尊い」という意味で、
「尊い征服されない湖」となる。

マナサロワール湖は別に「無熱悩池」ともいわれている。
、、、、、、、
「無熱悩池」のかたわらには、「贍部」という高木が生い茂っていて
この樹の
果実は甘くおいしいそうで、「贍部州」という島の名もこの樹からきている。

形が蓮の花や葉に似ているので、インドの古美術に湖を象徴する蓮台や蓮花がよく
用いられるいるという。

ラカス湖については
牛追いの古老の話として、
昔、ラカス湖の水が悪く、毒があり、人はその水を飲むと死んでしまった。そこで人々は
ラカス湖を悪魔の湖と呼ぶようになった。
しかし、その後、マナサロワール湖から聖なる魚がはい出して、
ふたつの湖を結ぶ地峡を渡り
ラカス湖に飛び込んだ。
それ以後、ラカス湖の水も甘美になった。
と記されている。

.................................

天武14年に「白錦御苑(しらにしきのみその)」の記事があり、
一説に「太陽の光りに照らされた白い錦のように光っている水面」と解し
この苑池だとも言われているが、
筆者は上記太文字のようなことから「
白錦御苑」であったとイメージしている。
中堤があり、苑池周辺の植生からは甘味な果樹が多く見つかっている。

またはカイラスの山頂に降り積もった雪が白錦のようにイメージしたのかもしれない。


(参考書)
L1『世界の美術6 シルクロードと正倉院』 平凡社 1966より加筆
L2『ペルシア文明展』朝日新聞社 東映 2006より加筆
㊵『獅子』 文 荒俣 宏 写真 大村次郎 集英社 2000より加筆 
『獅子 狛犬ものがたり』 上杉千郷 戎光祥出版 2008より加筆
『ブッダ 大いなる旅路 3』石田尚豊 監修 NHK出版 1998より加筆
㊺『飛鳥寺と国分寺』 坪井清足 岩波書店 1985より加筆
『あすかの石造物』 飛鳥資料館図録第35冊 2001
L1『世界の美術6 シルクロードと正倉院』 平凡社 1966より加筆
L2『ペルシア文明展』朝日新聞社 東映 2006より加筆
 
(写-1)
(写-2)
(写図-1)
『飛鳥京跡 苑池遺構』橿原考古学研究所 学生社 2002より加筆



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