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Kのメモ MAR 8,2015 [店雑記・Kのメモ]



三角形と点

大和三山と言えば、畝傍、耳成、香具山と思っていましたが、
大和には他にも三山があります。

twotriangles0307-1.jpg
(図-1)

吉田金彦氏は大和三山を藤原三山(藤原京を内包するので)と称し、
もうひとつの三山を朝倉三山と称しています。(参-1)

朝倉三山は西から拝すれば
外鎌山(とかま)を頂角とし、三輪山、鳥見山(とみ)を結ぶ三山で、
藤原三山と比べれば、
カマキリの足や鎌の形をイメージするからおもしろい。

kama0307.jpg
(図-2)

外鎌山を含むから?と思うけれど、
外鎌山の「かま」はそうではなく「竈(かまど)」が字源にあり、
山に囲まれた谷間(忍坂地区)、「竈」の内のような地にあり、
外に位置する山から、「とかま山」となったと記されています。(参-1)

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その外鎌山の南山麓に押坂陵があります。

陵内の陵墓を調べていると、
朝倉三山と相似する三角形が描けることが解りました。

粟原寺と舒明天皇陵、そして赤坂天王山古墳を結ぶ三角形です。

triangles0308.jpg
(図-3)

『小山田遺跡』を記すなかでも幾つか三角形を描きました。

自然から描かれる三角形(山の頂きを結んだもの等)、営みや構築から描かれる三角形。
大別すると二つの三角形に分けられるように思えます。

時にはその憧憬に想いを寄せ、
時には新たな形を描き、飛鳥人は神や仏を拝したのかもしれません。

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十市皇女が亡くなったとき、高市皇子の挽歌に、

神山之 山邊眞蘇木綿 如此耳故尒 長等思伎(万2-157)
三輪山の 山辺真麻木綿 かくのみ故に 長くと思ひき
とあります。

中西進氏は高市が十市を思うとき、なぜ三輪山の神杉や神事の短木綿を
持ち出すのだろう?と記し、
そこには神女の聖婚のイメージが伝えられているのではないか、と
推測し記しています。(参-2)

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他に二首あります。

三諸之 神之神須疑 己具耳矣自得見監(注-1) 不寝夜叙多(万2-156)
三諸の 神の神杉 己具耳矣自得見監 寝ねぬ夜ぞ多き

山振之 立儀足 山清水 酌尒雖行 道之白鳴(万2-158)
山吹の 立ちよそひたる 山清水 汲みに行かめど 道の知らなく

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高市皇子が十市皇女の葬儀、埋葬に参列し、
この挽歌を添えたと推測すると、
朝倉三山を知るなか詠った可能性が推測されます。


吉田金彦氏は外鎌山(忍坂山)を忍坂富士、朝倉富士とも称されていることから、
甘南備山そのものだとも記しています。(参-1)

とすれば、神の山の対称は拡大し、外鎌山、鳥見山も含む
朝倉三山がイメージできます。

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二つの三角形の間に小さな紅い点を描きました。
十市皇女が葬られたと推測したところです。

自然の形と、自然に及ばない短な形の中に、
挽歌と重なるものをイメージするのですが、、。

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(図-1)(参-1)『訓点語と訓点資料』
「天の香具山とかまに」吉田金彦 73輯 1985より加筆
(図-2)『世界大百科事典』平凡社 1972より加筆
(図-3)地理院GSI Mapsに加筆
(参-2)『神南備 大神 三輪明神』東方出版 1997
「三輪山と万葉集」中西 進
(神女の聖婚のイメージ)
佐韋の神事(山百合に包まれた聖婚)
三輪の大物主の娘、伊須夜余理比売と神武天皇とが一夜を共にする
模擬神事の話『古事記(神武条)』
(注-1)いろんな解釈があり、解読難。




タグ:三角形と点
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